昭和23年、文部省から『学校図書館の手引き』が刊行された。その講習会が昭和24年、天理図書館で実施され、同年12月、大津公民館(当時滋賀県立図書館は、GHQの命令で大津公民館に移転させられていた。)で伝達講習会が行われ、これが本県における学校図書館運営実務講習会の最初である。昭和25年1月21日、滋賀県SLAが発会した。学校図書館の整備は急速に進み、小中学校でも専用の図書室をもつ学校が、58%に達していた。(1)
県教委は昭和25年に粟津中、葉枝見小を、27年に大津東高(現在の膳所高)を、学校図書館実験学校に指定した。また、昭和26年には大津高(東校舎、現在の膳所高)が県教委主催の高校図書館コンクール最優秀校に選ばれている。粟津中校長 馬場甚一は初代中学校部会長、葉枝見小校長 中川荘作は初代小学校部会長、また大津東高の図書館担当(社会科教諭)平田守衛は、後に県立図書館長を務め、退職後は守山市立図書館初代館長、大津市立図書館長など歴任した。(1、2)
県教委の徳山一郎は県内各地の指導に当たり、後に第4代県SLA会長を務めた。県立図書館初代館長の的屋勝は、学校図書館の振興につくした。県SLA初代会長 湯木満寿美(高校部会初代会長、全国SLA副会長、当時の役員の多くは高校教員)は、昭和26年1月、全国SLA会長の久米井束らとともに米国学校図書館の実情視察もされ、県内各地の研究会、講習会の指導をされた。(1)
昭和27年第6回近畿学校図書館連絡協議会(現在の近畿学校図書館研究大会の前身)が、草津町と大津市で開催された。6月6日、草津中で総会、本県からは木村力(草津中)、高田勝(粟津中)、平田守衛(大津東高)が発表した。翌7日、粟津中図書室(庭をもつ立派な図書館)、大津東高図書室(旧制膳所中学校以来の図書館で彦根、水口、西大路諸藩の古文書も所蔵)を見学し、大津西高(現在の大津高)で総会をもった。参加者435名、小、中、高の3つの部会で研究を深めたことは、画期的なことであった。(1) 草津中(昭和23年開校)の図書館は、開校前から図書の収集を行い、昭和36年の第二室戸台風でほとんどの蔵書を失うまで、年間1000冊を超える図書の収集を行っている。(6)
戦後の民主主義の目に見える実践として、学校図書館の振興が一気に進んだ。県SLAの呼びかけに応じて、活動に参加する学校も増えていった。昭和28年に議員立法による学校図書館法が制定され、郡市支部が県全域にできるのは、ようやく昭和29年頃である。どの支部にも図書館教育の研究の中核となる学校が生まれ、その学校が支部活動の拠点となって研究推進がなされた。(1、5)
昭和32年6月28日、29日の両日、第12回近畿学校図書館研究大会が彦根西高(旧彦根高等女学校以来の図書館があり、レコード資料も充実していた。)他4会場で開催され、各分科会の提案、司会、記録等を支部が分担した。(1)
コンクールも活発で、「県学校図書館コンクール」(県教委、県SLA、中日新聞社共催 S32年〜39年頃まで)「優良学校図書館コンクール」(県教委、県SLA、滋賀日日新聞社共催 S33年〜45年頃まで)、「私たちの学校図書館作文コンクール」(県教委、県SLA、滋賀日日新聞社共催 S32年〜47年頃まで)が実施された。県SLA主催の研究大会も、発足当初は県教委指定の実験学校の実践報告として実施されていたが、コンクールにおいて最優秀賞を受けた学校の実践発表として行われるようになった。(1)
この時期に活躍された指導者は、県教委の清谷宗暁 岩崎武、県SLA会長 馬場甚一、事務局長 高田勝秀、実践家として木村力、甲斐沼清、津田正澄等を上げなけれぱならない。
(1)
4 教育研究会への編成(昭和41年〜44年)
研究内容の交流や、共同研究の必要が感じられるようになり、すでに教科教育では研究員制度を導入していたので、昭和38年から研究員制度が発足した。(1) 小、中の各研究員会は、郡市支部より推薦された18名の研究員によって、また高等学校の研究員会は各学校の担当者が研究員となって組織した。そして、小学校は昭和38年より、中学校は昭和41年より、また高等学校は昭和44年より、年1回研究物を発行するようになった。
昭和39年4月、文部省は教育研究団体補助金交付に関して、教育研究団体の整理統合を促した。本県では昭和41年4月より、小、中、高の3つの「教育研究会」に集約され、県SLAは、教育研究会学校図書館部会として改組された。それと共に、学校教育に支障が生じないようにとの配慮から、毎週月曜と水曜の出張を禁止する等、規制が加えられるようになった。教育研究会は全教員をもって組織され、県教委から補助金が交付される認定団体であり、その出張には出張旅費が支給されるというフォーマルな性質をもつ団体である。滋賀県SLAの小、中、高の各部会は、こうして、領域別の「滋賀県SLA」と、校種別の「教育研究会」のまったく別の2つの上部団体を持つこととなった。そして、それまで一体となって活動していた滋賀県SLAが、小、中、高にわかれて活動することが多くなっていった。(現在の規約は、「学校図書館関係者及び本会の主旨に賛同するものとする。」となっている。県教委からは、教育研究会学校図書館部会に補助金が交付される。県SLA主催の県学校図書館研究大会を、3年に1度教育研究会が共催する。)
支部活動も変化した。小、中の各教育研究会が郡市支部を組織し、県SLAの支部は、小、中の各教育研究会の支部に参加することになった。こうして、滋賀県SLAの支部は、高校を欠くこととなり、本当の意味での支部とは言えなくなった。
昭和44年10月24日、25日の両日、守山町、野洲町、草津市、大津市の24会場、28分科会、参加者1400人に及んだ第20回近畿学校図書館研究大会が開催された。研究員を大会の各分科会に組織し、数年にわたって実践を深め、その成果を各分科会において提案し、教えを仰いだ。大会を前に、宿泊研修もスタートした。(1)
県教委 児玉嘉一、県SLA会長 馬場正男、徳山一郎、副会長 石森庄作、県SLA草創期からの実践家、尾上寛仲、出水明、馬場杉右衛門、渡辺守順、角井英子(以上高等学校)、安藤謙正、粟津信海、大久保澄海、堀昭三、北中博、村田昌平(以上中学校)、磯部博(現
五個荘町立図書館長)、木村一郎、橋三郎、藤田和彦、山本光男(以上小学校)らが活躍した。(1)
5 学校司書について
昭和25年に、大津高東校舎で県下で初めての司書(当初は図書費)が置かれた。(2) このときの司書が角井英子で、大津東高、膳所高と校名が変わるが、昭和39年まで司書として在籍した。司書を辞めた後も、高校国語科教諭として、図書館教育にかかわっている。昭和36年には高校で教育職(実習助手)の県費司書が採用されている。その後PTA費新採用、PTA費から県費への任用替え、県費新採用が同時進行で進み、順次司書が補充され、昭和46年には1学年6クラス以上の全日制高校すべてに、47年には独立定時制高校2校にも司書が配置された。文部省の『学校図書館の手引き』にも書かれたように、司書と事務職員は別であると一般にも考えられていた。
昭和48年から行政職身分の司書の採用へ移行する。これは定数法により、専任の学校図書館事務職員が措置されたことによると思われる。このことが結果的に、県立学校図書館と県立図書館との間で、司書の人事交流がなされることにつながった。現在、県SLAでは、高校部会の中に司書部会が置かれている。
小、中学校では兼任の学校図書館事務職員が定数法で措置されることとなり、学校司書が根付くことはなかった。ただ、草津中では昭和48年、小島次枝が司書として配置され、事務に引き上げられてからも、昭和58年まで学校図書館の仕事をしている。(7)沖縄県では、小中学校も学校司書が根付いており、法律の問題もあるが、要は熱意の違いだろう。
(昭和45年〜58年)
昭和45年を境に高度経済成長で子どもの生活が激変し、本を読む子が減った。その後第二ベビーブームと京都・大阪のドーナツ化現象により児童、生徒数が増え、図書室が消えていった。学校図書館コンクールもなくなり、図書館教育への熱気は消え、図書館担当者が毎年のように代わり、郡市支部の中には読書感想文コンクールの審査があって、かろうじて存在している状況も生まれた。
昭和44年の近畿大会が終わってからは、県SLA主催の研究大会が、各郡市持ち回りで開催され、研究員の研究成果発表の場となった。この時期、小、中、高の各研究員会で取り組んだのが「学校図書館利用の手引き」(生徒用、教師用)で、「教科に生きる学校図書館の利用指導の研究」に発展した。その後取り組んだブックリストの作成が「読書指導の研究」に発展した。高校部会ブックリスト検討委員会の『読書のしおり』は、部会長だった脇野芳和の最後の仕事で、北村初子が中心になって作成し、初版は昭和54年3月に出され、現在まで続いている。宿泊研修や全国学校図書館研究大会への参加は、研究員の親睦の場ともなり、宿泊研修は昭和61年まで続いた。
高校部会は、近畿大会を目前に、昭和54年度の部会長がなかなか決まらず、やむなく昭和55年から、部会長(校長)と部会事務局長(教諭)をセットで学校持ち回りで務めることになり、現在に至っている。加えて、同一校務分掌3年の原則ができているということで、悩みは大きい。
昭和58年10月14日、15日、第28回近畿学校図書館研究大会(長浜大会)が長浜北小他4会場で開催された。支部の立て直し、小中高の連携、自発的な研究員による研究の推進といった課題が、一定成功を収めて実施できたのが、この大会である。寄付金集めや提案、司会、記録といった分科会の運営に支部が分担して当たった。また、大会事務局を長浜高(当時の司書は岩根陽子)に置き、磯部博会長の下、阿部秀彦、森邦博、山村善人らが中心となって運営した。当日は公開授業も実施され、地元長浜市教育委員会が全面的に支援しての大会となった。
県SLA会長 石森庄作、木村一郎、西堀寛次、磯部博、副会長の脇野芳和、事務局の伴一雄(退職後 水口町立図書館長)、橋三郎、村田昌平、高岡利彦、実践家として佐々木義璋、北中博、中川徳郎(現
長浜市立図書館長)、佐竹正通、伊藤尚典(現 山東町立図書館長)、岩嶋孝之、阿部秀彦、森邦博、奥居裕子らが活躍した。
滋賀県知事 武村正義によって県立図書館長として前川恒雄が招聘され、前川は学校図書館を含め、県内の図書館の発展に尽くした。町衆による自治の伝統が今に残る滋賀県では、もともと図書館に対するニーズも強く、公共図書館は全国トップレベルに成長した。ただ、県の施策としての予算的措置が取られなかった学校図書館への波及は限定的にならざるを得なかった。
(昭和59年以降)
小、中、高の各研究員会とも、長浜大会以前の研究を引き継いだ。中学校の研究員会の湖東ブロックが取り組んだブックトークは一定の成果を収めた。県SLA主催の研究大会は、郡市持ち回りで開催されたが、支部活動の活性化には結びつかなかった。ただ、会場校は校内研究に図書館教育を位置づけ、熱心に取り組んだところが多かった。
平成5年からの「学校図書館図書整備新5か年計画」(7)、平成10年からの「学校図書館情報化・活性化モデル地域事業」、その他読書指導や「地域に開かれた学校図書館」などの委託研究など、国の学校図書館振興施策が次々に実施されたのもこの時期である。
平成9年7月31日、8月1日、立命館大学びわこ・くさつキャンパスで第35回近畿学校図書館研究大会が開催された。(8)研究員会、支部活動とも低調な中での開催となり、小野田文雄、猪飼由利子、川口文人、田井中晃らが中心となって組織を作った。そして、平成11年10月27日、29日、大津市、草津市で日本図書館協会主催の全国図書館大会がびわこホールをメイン会場に開催され、後援することになった。
県教委 伊藤尚典、石本政雄は、県SLAと協力して「学校図書館利用の手引き」(平成2年3月 滋賀県教育委員会発行)を発行した。谷口茂雄は、県総合教育センターの学校図書館講座(昭和62年〜)の一部を県SLAと共催する(平成7年〜)よう指導した。足利弘樹は図書館の年間計画の作成を指導した。県SLA会長は饗庭勉、山本光勇、北中博、左近鋼一、伊藤尚典、水上正一、阿部秀彦が務めた。その多くは実践家であり、県SLAの運営に深く関わってこられた方であるが、左近は知事部局におられた方で、県内の文化人との交流も深く、特異な存在であった。部会長を兼ねない県SLA会長は、左近が最初である。運営に当たったのは、高岡利彦、森邦博、西村忠司、奥村恒、深田紀子、市島恵子、奥村薫らである。指導者として他に、勝見一寛、岩嶋孝之、村田昌平、北川良、山邊禮子、実践家として森邦博、常諾真教、山中貞子、岩本いと枝、細江広子、岩佐欣子、下村文宏、石川百合子、宮川智江子、田井中晃、安達真子、束川清(以上小学校)、奥居裕子、市島恵子、小西真知子、小野田文雄(以上中学校)高岸幸子、猪飼由利子、藤野美由紀(以上高校)らを上げることができる。
一番の問題は、予算の確保にある。今年度、県SLA主催の実務講習会で、初めて参加費をいただいた。
次に、教育研究会は、共同研究推進に一定の役割を果たしたが、小、中、高をばらばらにし、支部の崩壊を引き起こし、研究と運動を乖離させ、会員の自発性を減退させた。
逆に、展望が開ける状況もないわけではない。すでに、教育研究会の大津市支部はないが、前事務局長の森邦博をはじめ、大津市内の多くの教師が大津市立教育研究所に集い、SLAの活動に参加している。「大津市学校図書館を考える会」など自発的な研究団体がどんどんできている今、県SLAの新たな対応が求められている。
参考文献
(1)伴一雄 滋賀県SLA30年の歩み
学校図書館 第396号(1983年10月)
(2)平田守衛 滋賀の図書館 歴史と現状
自費出版 昭和55年7月
(3)金田小学校創立百周年記念誌 昭和62年
(4)山本稔 仲谷富美夫 西川暢也
『赤い鳥』6つの物語 サンライズ出版1999
(5)勝見一寛 「黎明期の学校図書館を思い出して」滋賀県中学校教育研究会学校図書館部会研究紀要第20号 1986.3
(6)西村忠司 滋賀県における「新5か年計画」
学校図書館 第560号(1997年6月)
(7)1985年度草津中学校図書館教育
(8)小野田文雄 第35回近畿学校図書館研究大会報告 学校図書館 第564号(1997年10月)